浅川マキが逝ってしまったて!?うっそー!!!

 
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 思春期の頃から、好きでよく聞いてた。京大西部講堂に聞きにいってた。うるさい無神経なトランペットが浅川マキさんの歌を邪魔してて聞こえにくく、むかついて、トランペット辞めてもらえんかなと思いながら、聞きにいっていた。
 浅川マキを聞きにきたのに、なんであんなにトランペットが出しゃばるのか、腹が立った。あれはつぶしもいいとこだった。唄をかき消すような、邪魔してるようなトランペットだった。わざとしてた。そこがミソだったのかもしれないが、なんにもええと思えなかった。なんでいっしょにやってるのか、全くわからなかった。少なくとも、マキさんの歌をリスペクトしてると思える演奏ではなかった。
 しかし、それでも浅川マキの唄は良かった。好きだった。あのハスキーな声に憧れた。暗い唄が好きだった。
 当時は、CDではなくLP時代だった。何回も聞いて覚えてよく歌っていた。
彼女のバックバンドは、いつもすごいいいミュージシャンばっかりでうらやましい限りだった。
 92年頃だったか、東京で自分のコンサートやるときに、浅川マキに招待の手紙を出した事があった。
 今は亡き、ジャズ評論家の「油井正一」さんと、「大和明」さんにデモテープを送って批評してもらった内容をコンサートのチラシに載せていたので、「私の信頼する油井さんや大和さんが評価されてる人なら、さぞ、いい音出されるんでしょうね。当日はいけませんが、がんばってください」というような内容の返事の手紙をもらった事があった。とてもうれしかった。
 それから、何年もたって、私は、いつの間にか自分のやる音楽にしか興味がなくなってしまってた。
 そんなある年、たまたま日本にいて再び「浅川マキ」を聞きにいく機会に遭遇した。大阪でのライブだった。ドラムはセシルモンローだった。セシルモンローはずっと浅川マキのライブで決まって演奏するようで、彼はマキさんとの仕事をとても大事にしているようだった。というのは、一度ツアーに参加してもらった時、次のスケジュールをお願いしようとした時に、その頃は毎年浅川マキさんといっしょにやるので駄目だと断られた事があった。まだ正式に頼まれていないが、多分毎年同じ時期にやってるのでという事だった。
 ア、浅川マキは大事にされてるのだなと思いほっとしたのを覚えている。うらやましくもあったが。
 ピアノは渋谷毅だったと思う。このライブは良かった。
 相変わらず、昔と同じように、変わらぬマキさんがいて、とてもいいライブだった。いや、昔よりずっと私のステージって感じで、もう誰にも邪魔させないって感じが良かった。浅川マキを聞きにいってるファンとしては、昔より、ず〜っと納得のいくステージだった。歳の取り方もかわいくてこんな人と話してみたいなあと思わせるような魅力たっぷりの歌手だった。
 10代の頃に影響受けたミュージシャンや思想は、一生続く。
 何年経ってもいつ聞いてもやはり私の好きな日本人のジャズシンガー。
 それが、私には「浅川マキ」だった。

 でも、彼女はフェミニストの視点はあったのだろうか。いや女性解放もへったくれもなかったのではないかとも思われる。フェミニストだったら、あの男のミュージシャンたちとは多分うまくいかなかったように思うのだがどうだろう。ただ、彼女がボスだからみんな言う事聞いたのかな。
 彼女は音楽のこと、どの程度わかってたのだろうか。ーつまり、うまく歌えるという事ではなくて、理論とか、ピアノを少しぐらいは弾けたのかとかそういった事。少し気になる。
 何も知らなかったら、男のミュージシャンは、決まって、私の経験から言うとみんな馬鹿にしたり、ハラスメントしたりするので。
 今の時代じゃ、もう、歌がうまいだけではやっていけない。自分でコードぐらいは押さえれて、理論もわかってるぐらいで、自分のやる曲はアレンジも自分でして、バンドの楽譜も書けなくてはやっていけない、そんな時代だ。
 
 でも多分浅川マキは、そんなもの何も出来なかったのではないかと思う。でも要らないくらいすごい存在感と魅力のあるハスキーな声と歌のうまさがあった。だからあんな風になれたんだろうな。だって、浅川マキは誰にも似てないもの。もちろん、ビリーホリデーとかとも全然違う。
 私は日本人のジャズシンガーで、誰がいいかかと日本以外の国の人に聞かれたら、迷わず「浅川マキ」という。他にいない。
 ちゃんと日本で日本語でジャズをやってるただ一人の日本人ジャズシンガーだと思う。
 67才って早死にだなあ。

 忌野清志郎に続いて好きなミュージシャンがまた逝ってしまった。。。
 
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裏窓
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by swingmasa | 2010-01-18 17:26 | ひとりごと