寝起きに負傷 足にヒビ

一番、安全そうな、自宅のベッドから、起き上がるときに、寝ぼけてて、足を甲からおろし、しかも、しびれてたもんだから、コントロールがきかず、そのまま、体重かけたときたもんだ。そいでもって、だんだん、しびれが、とれてきて、悲鳴あげる程、痛くなってきて、足が、どんどん腫れてきた。
 しかし、次の日は、大事な話し合いが、あったので、気がそっちにいき、なんとか、予定していたことを、こなせないかと、ふんばった。しかし、さすがに、その帰り、こりゃちっとやばいと感じ、外科に飛び込んだ。8時に終わるとスレスレ、7時55分。
 で、レントゲンとってもらったら、ヒビはいってるって。さすがに、痛い。人生で、骨にヒビ入ったのは、これが、初めての体験だ。骨折した事など、もちろん無い。
 痛いというのは、大嫌い。
 しかし、いざという時の自分の力に改めて、感動してしまう。普段は、怖がりなのに。
 前だって、高熱でて、体が震えてるのに、自分以外に誰も自分を助けるものはないと、思うと、俄然奮闘して、高熱の体を震わしながら、車運転して、南大阪市民病院まで、自分で運転していった。玄関の近くに横付けし、駆け込むなり、車いすお願いしますといって、持ってきてもらい、それにのって、私、しんどくて、倒れそうなので、連れてってくださいと言った。
 そこからは、ほとんど、もう、自分では、判断つかない状態だったが、入院することになったんだっけ。
 ま、頼れる誰かがいるならいいが、いないので、自分でなんとかするしかない。
 しかし、この腫れた足、かわいいなあ。
 
 
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by swingmasa | 2008-07-31 16:04 | My Dear Life

日輪大弁財天様 御開帳 奉納演奏


またもや天川弁財天に参拝してきた。
そして今回は、日輪大弁財天神様に奉納演奏の機会も宮司様から賜り演奏してきた。
きじむなぁのかじさんと行った。参拝の道中は、車がとても混んでいて、1時間程の停滞を乗り越えようやくたどり着けたのだった。
道中では不思議なことが二度あった。昨日のコンサートに聞きに来て下さってた、片岡さん達一行、東京の上村さんや米山さん達にばったり我が河南町の道の駅で会ったのだ。それが、一回のみならず、ずぅ―っと先の道の駅でもまたもやばったり会ったのだった。これは、日輪大弁財天様巡り逢わせていらっしゃるようにしか思えないような出来事だった。
今回の御開帳の際は日輪大弁財天神様のお顔をしっかり魂に刻んでおこうと、じ―っとよくみつめさせていただいた。次に見れるのは、33年後だと思うと生きているかどうかもわからないし、今、この瞬間しか機会はないのだと思うと、観る目に気合いが入った。薄暗がりでみえにくかったので前に出て眼鏡をスライドさせてしげしげと観させて頂いた。
帰っは、洞川温泉に浸かり、でてきたところにあった、畳の間で大の字になって寝そべり、少し仮眠して、帰途に着いた。帰る時、洞川温泉の駐車場から見た空、これがまた、不思議な様子をしていた。御光の光なのか、空に飛行機雲でもない、いくすじもの線が入った空を見た。
いい一日だった。
Swing MASA
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by SwingMASA | 2008-07-21 08:00 | ひとりごと

きじむなあのライブ

いやー、楽しかった。さとちゃんががんばってくれて、もても盛り上がった。タンバリンで参加してくれたが、あんなにきつく、タンバリン叩いて、大丈夫かな。青あざになってるんじゃないかな?心配。
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by swingmasa | 2008-07-18 00:32 | My Dear Life

御秘神 日輪大弁財天社

15日にの夜に、又、 New Yorkから、大阪に、帰ってきた。
父が、富田林まで迎えにきてくれて、自宅にたどり着いたら、母が、スイカなどを切って待っていてくれた。そして、天川の話になり、行くんだったら、明日か、20日しか無いという話をいあた。17日は、知り合いに会いにいかねばならんので、これは重要な約束だし、明日は、無理だろうと、思っていたら、其の人から、メールが入っていて、とても、忙しくて、来週にまわしてもらえないかというのである。それならば、と来週にまわし、17日も、3時ぐらいからの他の約束が程度で、これは、ちょっとがんばったら、行けるかもしれないと行き帰りのかかる時間と、自分の疲れ度を自分に相談。?????っ母も行きたいと言っている。いつも、父は着いてこないのだが、この日は、誘ったら、あっさりのってきた。これは、行くしか無い。もし、20日他の大事な用事が入ったら、アウトだし。
 そして、帰国するなし、いきなり、次の日天川弁財天の「御秘神 日輪大辨財天神」 特別ご開帳を見に、車を走らせた。いって、お祈りしておきたい事が、幾つかあったので。何故か、最近、よく、道を間違える。天川に続く道309をひたすら、行くだけなのだが、途中で、曲がる箇所を間違える、先回、行った時も、間違えた。前は、絶対間違えなかったのに、2回か、3回続けて間違っている。もちろん、間違ったところまで、引き返し、また、309を見つけるのである。
 そして、河南町から2時間半程走らせて、天川弁財天社にたどり着いた。あまり、急に決めたので、友達も行きたがってたのにと、ちょっと、悪いなあと思ったが、両親も一緒に行くというのは、またとない機会なので、Now is the Timeと思って、実行。
 夕方に近づくにつれ、人が、どんどん押し寄せてきた。1000人はいただろうか。あんなにたくさんの人が、あの神社にいるのを始めて見た。
 こんなにたくさんだと、御開帳の神事に椅子席も取れないし、年老いた、父と母をたってみさせるのはかわいそうすぎるとおもった。ま、しんどくなったら、階段を下りてこようと母にはなして、登っていった。そしたら、ラッキーなことに、また、知り合いが手伝っておられて、父と母に、椅子を用意してくださった。もう、神事の最後まで一緒に見れないんじゃないかと心配していたが、その、知り合いの御陰で、父も母も最後まで一緒だった。そして、奉納演奏ももおわり、いよいよ御開帳となった。
 そうすると、人々がどっと押し寄せ、団子になり、要領のいい人は、どんどん先に階段をあがり、私と母は、次から次へと、後から、来た人に追い越されていった。そして、近くにいた、父とも、離ればなれになり、本の少し前にいた父は、ラッキーにも、階段を上がり始めていた。
 私と母は、どんどん追い越され、後になっていったが、ま、今夜中に見れたらいいと腹をくくって、のんびり待っていたら、もう父は、御開帳を賜り降りてきてしまった。
 私たちの前にいた、東京からきた、女性は、ナスティーな人だった。母は、当年寄りなのに、母のハンドバックが、彼女のお尻にあたり、其の人は、お尻を触らないでと母に詰め寄った。触ったわけじゃなく、靴を脱ぐ動作のときに、触れてしまったのだが、そんなに不快なら、自分がよければいいじゃないか!すごく、太った女性で、あんたが太いから、あたるんだよって、行ってやりたかったが、神さんの前なので、やめにした。それから、神主さんに、先に脱いでいかれた方の履物をこちらにまわしてもらえませんかと声かけられたので、私と母は、お手グリで、50程の履物を其れを、受けてくれる人にまわしていったが、その女性は、年寄りの母や私にやらせて、動こうともしなかった嫌な奴。でも、ほとんどの人が、動こうとしなかったので母は、びっくりしていた。「最近は、人間もかわったなあ。私らに年格好の人間は、こういう事はそっせんしてしたんだけどね。天理さんへいったら、履物は、汚れてたら、ふいてかえしてくれる」と言っていた。いい教えだなあ。だから、あんなにさかえるのか。
 そして、我々もにも、遂に順番が回ってきて、「御秘神 日輪大辨財天神」 特別ご開帳の瞬間となった。この前は、30年前だったらしい。本当は60年に一回のところを、こんな時代だからと、30年繰り上げて、今年、特別御開帳となった。この次は、30年後の、2048年。私は、生きているかどうか解らない。父も、母も、当然、逝ってしまっていないだろう。そんな特別な瞬間を親子3人で共に体験する事ができて、とても幸せに思う。
 ところで、そのご利益は、みなに与えられるのか?さっきの女性や、順番に並ぶ事なく、団子になっていって、早い者勝ちになっていった人間の有様を「御秘神 日輪大辨財天神」様はどんなふうにご覧になってるのか?
 しろーい、目がぎょろっとして、あんまり、彫りの深いお顔をではなかった。もっと、じげじげとみたかったが、暗くて今一わからなかったのと、次の人が待っているので、お名残惜しいが、階段を下りてはなれていった。宮司さんに、写真とったら駄目ですかと聞いたら、「駄目です。私らも持ってません」と言われた。ちょっと、無視神経かなと思ったが、後ろからか、シャッター切る光が見えたので、とってる人いるんだと思って、申し込んでみたのだ。もう、みれないんだもんな。もっと、昼の光で、ゆっくりみたいもんだ。
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by swingmasa | 2008-07-17 00:28 | 感想