私のアイデンティティ 1/やさしかったおばあちゃん

 

いつごろだったのか、私が『私』という人を意識し始めたのは.
 私が物心ついた時から、私の側には、いつもおばあちゃんとおじいちゃんがいた.絵で描いたような、それこそ、昔あるところにお爺さんとお婆さんがいましたという日本昔話にでてくるような二人だった.農家だったという事もあったが.現代のきれなしゃれた格好の老夫婦ではなくて、昔のつぎはぎだれけのもんべはいた白髪の長めの髪を後ろでひとつにくくったお婆さんと、短くかりあげた頭に、股引姿のお爺さんだ.
 私はこの二人に甘えれるだけ甘えさせてもらったように記憶している.
 父に関する幼い頃の記憶はほとんど無い.あんまり、遊んでもらえなかったのかなあと思うが、昔の写真にしっかり父にだっこされてるのがあるから、無視されてたわけじゃないかもしれない.
 でも、ひょっとしたら、私が、おじちゃん、おばあちゃんッ子だったので、私の方が父を無視していたかもしれない.
 私は、その大好きだったおばあちゃんに今でも後悔して、自責の念に耐えられなくなってしまう思い出がひとつあった.
 それは、いつごろからか、おばあちゃんが中風になって、歩けなくなり、寝たきりになってからの事だった.私は、小学校に行ってたのかな?はっきり覚えていない.が、動けないおばあちゃんに、ひとつ用事を頼まれるごとに50円でするという約束をさせて、ちゃかり付けておき、3000円ぐらいになった時、請求した.そしたら、おばあちゃんが泣きだしたのだ.結局もらえたかどうかはおぼえていないが.とても理不尽なことをする『私』だった.自分でも、自分のしたことの浅ましさにゾゾーットして、身震いがする.本当になんて事をしたんだろう!
 それから、おばあちゃんは、よく泣く人になっていった、そして、自分でおトイレも、起き上がることもできなくなっていった.そんなねたきりの生活を10年しておばあちゃんは死んでいった.
 何で、おばあちゃんの苦痛を思いやれなかったんだろう.
 『おばあちゃん、ごめん!おばあちゃんの言う事何でもきくからどうか許して!』と心の中で叫んでも、おばあちゃんに届いているのか、もういないからわからない.許してもらえるような事ではないと思うが.
 私はよく墓参りに行くが、それは、おばあちゃんに謝りたいという気持ちがあるからだ.

 おばあちゃんが、動けなくなってからも、うちの家ではいろんなことがあった.

 おじいちゃんと、父はどうしても仲良くできないみたいで、最悪だった.よく喧嘩をしていたのを覚えている.祖父と父の関係は叔父と甥の関係だ.父は父の母の実家に養子に入る格好で、母と結婚して、私たちが生まれた.
 しかし、父は私の尊敬する大好きなおじいちゃんが大嫌いで、なんか私ともはぎくしゃくしていたんだろうか?
 私がおじいちゃんとおばあちゃんが大好きだったから憎たらしかったのかな?
 しかし、それ以前に私は、父という人を認めていなかった.なんてかわいそうな父.
 今思うと、子供って残酷だなぁと思う.というより、『私』という人間が残酷なところを持った人なのかもしれない.
 あるとき、母が交通事故にあって入院したことがあった.母はセミトラックとを運転していて、後ろから来た普通車に曲がろうとするところをはねとばされたという事故だった.
 私が小学校から帰ってくる途中にその事故現場があり、近所の人が知らせてくれた.私はびっくりしてあわてておじいちゃんとおばあちゃんに伝えに走って帰った.
 あの時のおじいちゃんとおばあちゃんのビックリした顔は、今でも覚えている.心配そうにしていたが、車を運転できるわけでもなく、ただ、ただ心配するしか無かった.そのうち父が帰ってきて又、一発おじいちゃんと喧嘩した.
 母の様子がどうなのか、おじいちゃんは心配で心配でたまらなかったのだが、父の物言いに腹を立てて怒りだした.父がなんていったか覚えていないが、なんか喧嘩売るようないい方だったのは覚えている.が、おじいちゃんもしっかり父の喧嘩を買う人だから、この二人の組み合わせは、火に油を注ぐがごとくすぐに火がついてやりやいになる.
 そして、父がぷいとどこかに行ってしまう.いったいどこに行ってたんだろう?父の実家は、車で15分程のところだから、帰ってたのかな?
 特におじいちゃんは、父の事を小さい頃から妹の子供として知っていたから、気が知れた中だと自分の実の息子のように信じきっていたようだ.喧嘩になったら、おばあちゃんが、いつもおじいちゃんを諌めるが、おじいちゃんはおばあちゃんに諌められるとそれがまたむかつくようだった.しかし、おばあちゃんは、本気で心から心配していて、父がもう帰ってこなくなったらどうしようといつも気をもんでいた.
 『私』は、そんな中で育った.
 大人になってから聞いた話しだが、実際、父が一度荷物をまとめて実家に帰った事があったらしい.『こんなにうまのあわん舅と一生暮らすのはご免だ』と思ったらしい.もう、一番上の姉が生まれていた頃だった.私は3人姉妹の末っ子で、この後、父と母がよりを戻してくれてなかったら、『私』という人は生まれてなかった.
 どんなふうにして二人がよりを戻したかは、またいつか書くことにして、とにかくこの後も相変わらず、父は私の大好きなおじいちゃんと、ぎくしゃくしながら、いっしょに暮していた.
 おばあちゃんが歩いていた頃の事を殆ど覚えていない、しかし、おばあちゃんが、尻餅をつくようなこけ方をして、その日をさかいに、おばあちゃんが寝たきりになっていったのをよく覚えている.
 みんなで家の庭にいたときだった.何故か、全員そろってた.家族で写真でも取ろうとしていたのだろうか.そんな中での出来事だった.ちょっと座ったようなこけ方で、そんなに強くこけたわけではなかった.が、それから、おばあちゃんは自力で立ち上がれなくなった.何でも後日調べてみたら、骨が折れてたらしい.
 今、母が、だんだん私の好きだったおばあちゃんに似てきている.
 おばあちゃんにもっともっと優しく親切にしてあげれば良かったなぁ.今でもそのことを思い出し後悔する.
 いや、実際は、その用事1回50円事件に気がついて後悔してからは、私としてはおばあちゃんに出来る限りの事をしたつもりだった.がしかし、私のした50円事件は卑劣で血も涙も無い事で、本当に人間として罪深い事だ.自分の心の中に強い後悔の念として、それがずーっと今でも残っている.
 悪かったとわかってからは、おばあちゃんの排泄の世話など、いろいろ穴埋めするように介助をしてみた.
 しかし、一番取り返しがつかないなあと思うのは、おばあちゃんを泣かしてしまい、その後私が『おばあちゃん、ごめん』と謝ってなかった事だ.謝るという事をそのとき思いつかなかった.というか知らなかった.人が謝ってるのは見たことがあったが、自分がそれをおばあちゃんにするというのをした事が無かった.
 多分、『私』はおばあちゃんとおじいちゃんに溺愛され、なんでも許してもらってて、私が謝るという事をせずに許されて育ってきたのではないかと思う.
 それから、私の大好きなおばあちゃんは、小学校3年のときに亡くなってしまった.
 生まれて初めて体験した大きな深く悲しい出来事だった.
 それまでは、人が死ぬという事がどういう事かわからなかった.
 おばあちゃんが、もう笑ったりしない、声も出さない、息もしない、そんなふうになる事が死ぬという事なのだという事を初めて知った.死ぬという事は、が取り返しつかなくなるという事だ.
 おばあちゃんは、家で死んだ.寝てるのかなと思ってたし、また起きてくれる、起きてほしい思ったが、もう起きてきてくれなかった.享年83才.
 おばあちゃんの人生は、心配ばっかりだった.かわいそうなくらい、それは心配性とかではなく、目の前に困難なことが次から次へと起り.苦労苦労の連続の人生だったのだ.しかし、母の印象によると、おじいちゃんよりおばあちゃんの方が、根っこのところはとてもおおらかな腹のすわった人で、次から次へと起る難題をおばあちゃんなりに、ゆったりかまえて対処していたと聞いている.
 困難とは、まず私が知る限りでも、長男を戦争で亡くしている.これは想像するに、本当に二人に取ってとんでもない悲しい出来事だっただろう.しかし、このことがあったから、私の母と父が結婚することになり、私も出来たのだが.
 それと、いつごろまで粗祖母が生きていたのか知らないが、姑との中もうまくいかなかったようだ.虐められていたらしい.私の母は、自分のお婆さんを少しもいいように言わないが、虐められてたのを知ってたからなのかな..
 そして、おじいちゃんの弟がDV男でいつもおじいちゃんに喧嘩を売っては、家のものをひっくり返したり、投げ飛ばしたりして帰っていったらしい.そのことで、私の母はいつも子供ながらにびくびくして育ち、そのトラウマは85歳になった今でも昨日の事のようによみがえるというから相当ひどかったのだと思う.
 おばあちゃんは、てんかんもちだったのだが、たぶんDV被害と関係あるんじゃないかと思う.
 そんなわけで、実家の大黒柱には、その隠居のおっさんがつけたという傷がいまでも残っている.
 あるとき、おばあちゃんがてんかんを起こしたことあった.そのとき、おじいちゃんが必死でおばあちゃんの体をさすり、マッサージしながら、私に.『マサ!庭のユキノシタとってきて、塩でもんでくれ!』と言われたので、おじいちゃんの言う通り私も必死で庭のユキノシタを取ってきて、塩でもんで、おじいちゃんに渡した.おじいちゃんは、それをおばあちゃんの口に含ませ、全力で介抱した.かいあっててんかんが治まってきた.私はこのときのおじいちゃんにいたく感動したのを覚えている.
 救いはおじいちゃんが暴力をふるう人ではなく、おばあちゃんを大事にしてくれるひとだったということだ.おじいちゃんは、おばあちゃんの体をよくさすってあげていた.

 『私』が、いつか死だら、真っ先におばあちゃんのところに『おばあちゃん、ごめんなさい!』とまずは謝りにいこうと思う!それで、お詫びにNYで学んだ指圧や足裏マッサージをしてあげよう!
 どうか、おばあちゃんそれまで何年かかるかわからんけど待っててや.
 一応与えられた命、最後まで精一杯生きて、それから行く.それでもええやろか?
 『私』、おばあちゃんのこと、ほんまに好きやったんよ...
 おばあちゃんにすごーく感謝してます.
 私のこと大事にしてくれて、本当にありがとうさんでしあた、おばあちゃん!
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by swingmasa | 2010-10-29 03:51 | アイデンティティ